クーラーまだつけず。
私が好む部屋は年中日陰で、部屋が3階以上でした。なぜだかそのほうが落ち着くのです。
なので、皆さんが選択する南向きの部屋は選びません。
後付けですが、これから温暖化でどんどん暑くなるのに、南向きだと煮込まれてしまう感じがします…
今年の夏はクーラーつけずにいきたい。クーラーに弱い身体です。
扇風機でなんとかならんかなぁ、と思って今年導入したのですが、なんかとかなってます。24時間フル稼働。仕事行く日も基本的に付けっぱなしです。
これには窓を開けて寝れる階層でなければなりません。窓を開けておけるということは静かな環境であること。外から見えないこと。
いまのアパートはこれにマッチしているのです。これは部屋に住み始めてからわかったことですけど。
今までいろいろ引越ししましたが、今の家の環境が1番いいです。そんなに高くないし。
今の時期にクーラーなしなら、今年の夏はクーラーなしで乗り切れるのじゃないかしら。
貧乏という生き方
いつまでも消費中心の生活をしていては、貧乏くささの中からの脱出はできません。貧乏へ自らの足で降りていくその一歩は、消費社会から抜け出す一歩でもあるのです。消費することは、自分が消費されてしまうことへと繋がります。消費社会に自分を消費させないという、もう一歩踏み込んだ強い意志が必要となるのです。
消費されない自分とは、消費しない自分でもあります。
(貧乏という生き方 川上卓也 から引用)
すごく突き刺さる文章が多かったです。
本を読んで、突き刺さることが多いのは自分が求めていることなんだと思っています。
本来の自分の思考は、こういうことを求めている。
昔から好きな言葉なのですが、人間は考える葦であるという言葉もでてきます。
この言葉を使うところも共感できました。
本書は、また読み返したいと思う本でした。
古くても、新しい。
最近、ミステリを図書館で借りて読むことが多くなりました。
今まで読んだことのない作家さんの本をメインに読んでます。
今読んでいるのは、内田康夫の浅見光彦シリーズ。若い時なら、絶対に手に足らない本です。
なんとなくテレビのサスペンスドラマで見たこと、聞いたことある気がシリーズなんで気になって借りてみました。
これが面白い。現実世界とリンクしてるところが多いからなんとなくイメージがしやすいし。
旅っぽいこと好きなので、この本で載っている場所もなんだかわくわくします。
昔からある本(いまも連載あるのかな?)ですが、自分にとっては新しい刺激です。
新書が溢れているので、もう追いつけないです。追いつこうとする気もありません。
世間の「新しい」ものさしでなく、自分の中の「新しい」ものさしでやっていきます。
沈黙のパレード
「大抵の場合、実験の結果がどうなるかは学生たちもわかっている。だから彼等は、好ましい結果が出るように作業を行う。時には計画器の目盛りを多めに読んだり、少なめに読んだりしながらね。それで狙いに近い結果が得られたら満足してしまい、自分たちが根本的なミスを犯していたことに気づかなかったりする。正しく実験が行われたかどうかを判断するには、どんな結果が出るかなんて、知らないほうがいいんだ。」
(沈黙のパレード 東野圭吾 から引用)
湯川先生のセリフの一部分です。
湯川先生イコール福山雅治ですね。このガリレオ、加賀恭一郎シリーズは東野圭吾作品の中でも特に好きです。
セリフのように、似たような経験は一度はあると思います。
夜中にこのセリフを読んでドキッっとしました。なんでだ笑
自分が思っている結果に向かって実施し、計算する。そして、失敗する。
自分を実験台でいろいろ試してみたりした時期があって、結局、自分の好ましい方向へ行こうとしてしまうのです。
嫌なことは受け入れられずです。
暮らしてわかった!年収100万円生活術
一生懸命着飾ったり、大きな家に住むために、あくせくしてる人たちが、まるでバカに見えます。だって一生懸命着飾ったり、大きな家に住もうと思わなければ、あくせくしなくたってすむんです。
最低限、食っていければそれで十分。ものを買わなければ、たいしてお金もかかりません。つまり「もういいや…」の心境です。
(暮らしてわかった!年収100万円生活術 横田 濱夫 より引用)
拝読しているブログのスナフキンさんが良書としておしていたので、読んでみました。執筆当時に私に読んでいてもらいたかったです。
サラッと読めてとても面白かったです。既知のことが多いですけど、昔から節約は王道は変わってないのだなぁ、と思いました。
本書では、母親が亡くなったことについて触れられていますが、私も同じ経験をして、主人を失ったモノはほんとに寂しさが漂っています。生前に処分しといてほしかったけど、無理でしたし。
処分する者にとっては、気持ちのいいものではありません。
女子をこじらせて
こういうことをしたらこう思われる、こういうことをしたら誤解される、こういうことを書いたらイタイ人と思われる、そうやって自分をがんじがらめにしていた「自分の中にある他者の視線」をやっと振り切れた気持ちになりました。他者の視線はもういい。客観視するのはもういい。もうさんざんやったじゃないか。さんざんやって上手くいったことがあったか?
(女子をこじらせて 雨宮まみ より引用)
この文章が自分の中にひっかかりました。私も結構周りを気にするタイプで、めちゃくちゃ疲れてしまうのです。
なので、この本は気持ちがわかる部分が多かったです。
生きづらいんです。もっと周り気にせず生きたいけど、なんか考えてしまうのです。怖いというか、なんというか。